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「どうにもとまらない」は、1972年6月にリリースされた日本の歌手・山本リンダのシングルである。 == 解説 == この曲では、これまでの路線を一新し、へそだしルック、過激な振り付けなどを披露して、アクション歌謡の先駆けとされている〔東京新聞 2015年8月26日夕刊「戦前・戦中・戦後70年 歌で読むニッポン」(佐藤利明 連載)〕。 この曲はまず都倉俊一による曲の方が先に完成し、このメロディーに合わせながら作詞した阿久悠は、最初この曲に『恋のカーニバル』というタイトルを付けたが、『どうにもとまらない』に改められた。後に阿久は「タイトルが『恋のカーニバル』だったら、この曲の運命は全く違っていただろう」と述懐している(阿久自身の著書『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮社、2004年)の中でも述べている)〔。 オリコン集計では、累計で30万枚を突破した山本最大のヒット作である(レコード売り上げは40万枚〔読売新聞社文化部『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』社会思想社、1997年、274頁。ISBN 4390116010〕を売り上げた)。 1966年に「こまっちゃうナ」でデビューして以来、山本の人気は低迷していたが、この曲のヒットでデビュー当時を上回るヒットとなった。 この曲で1972年の第14回日本レコード大賞作曲賞、日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞し、1972年の『第23回NHK紅白歌合戦』に出場した(これは、「こまっちゃうナ」で1967年の第18回に出場して以来)。また、1991年の『第42回NHK紅白歌合戦』で同じく山本のヒット曲である「狙いうち」と共に披露した。 この曲のヒットによる影響は新聞の見出しなどでそのフレーズが流行し、当時の内閣総理大臣・田中角栄の日本列島改造論によって、1971年のドルショックから一転して地方の地価、株価が高騰したことで、地価や株価について「どうにもとまらない」と書き立てられたほどだった〔。 2005年には、この曲の詞を手掛けた阿久悠によって、現代風にアレンジした「どうにもとまらない〜ノンストップ」が発売された。原詩では女性の愛に対する熱情がテーマなのに対し、こちらでは男性の恋愛に対する望みが主体となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「どうにもとまらない」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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